—— 双语资料 ——

余計なひと言

2021-10-29

羅斯哲=文

鄒源=イラスト

あの日、私はバスに乗って友人のところへ出掛けた。そばにいくつもの大きな袋を置いて、一目で田舎から来たと分かる若者がいた。彼は車掌さんのそばに寄り掛かって、手に地図を持ち、真剣に見入っていた。突然、彼は申し訳なさそうに車掌さんに尋ねた。「頤和園に行くにはどこで降りたらいいのですか?」。車掌さんはショートカットの娘さんで、ちょうど爪の間の汚れを取っているところだった。彼女は顔を上げて田舎の青年をちらりと見て言った。「乗り間違えてるわ。向かいのバス停で戻るバスに乗りなさい」。この言葉自体には問題はなかったが、最後に余計な言葉を付け加えた。「地図を持っていても分からないなんて、何のために見ているんだか」

すると、そばにいたおじいさんはこれを聞いて居ても立ってもいられなくなり、その若者に言った。「戻る必要はないよ。あと4駅乗ってから904番のバスに乗り換えても行けるよ」。彼がここまでで止めておけば、人助けになり、北京っ子のイメージ回復のためにも良かっただろう。けれど彼は最後にひと言、余計な言葉を付け加えなければ気が済まなかった。「今の若者は全くしつけがなっていないな」

おじいさんのこの言葉は傷つく人も多いのではないかと私は思った。するとやはり、おじいさんのそばにいたお嬢さんが耐え切れずに言った。「おじいさん、しつけが悪いのは少数なのに、あなたのその言い方だとみんながそうみたいじゃない?」。彼女の言葉を聞くとしつけが悪いようにも思えず、おじいさんにきちんと敬語を使っている。しかし、彼女もまた余計なひと言を最後に付け加えないではいられなかった。「あなたのようなお年の人は穏やかそうに見えても、底意地が悪い人が多いわね」

これに、文句をつけない人がいないはずもない。やはり中年のおばさんが口を開いた。「あなたのような小娘が、お年寄りに向かって何という口のきき方をするの? あなたは自分のご両親にもそんなことを言うのかしら」。このおばさんの指摘も素晴らしかった。みんな、これで終わるだろうと思っていたが、そのおばさんは最後の言葉をまだ言い終えていなかった。「あなたみたいなのは、ご両親も手を焼いていらっしゃるわね」。こうして、大騒ぎのうちにバス停に到着した。

バスの扉が開くなり、車掌さんは言った。「みんなもう騒がず、降りる人は早く降りて!」。当然、彼女は最後の余計なひと言を忘れずに付け加えた。「騒ぐんなら、降りてから騒いでよ。うるさいったらありゃしない!」

るさいって? 彼女だけじゃなく、乗客全員がうるさいと思っているのだ。ずっと黙っていたあの田舎の若者が突然大声を上げた。「皆さん、騒がないでください。全て私が地図をしっかり見なかったのが悪いのです。すいません!」

彼がそう言うのを聞くと、車内の人はもはや騒ぎ立てるのは申し訳ないと思った。しかし、その田舎の青年も「余計なひと言」を言うのを忘れてはいなかった。「北京人がこんなに理不尽だって分かっていたら、来なかったのに」

この後どうなったかって?

私はその日、やるはずだったこともできず、みんなまず公安局に連れていかれ、事情聴取されて、そのあと病院の外科で頭の傷を手当てしてもらった。私の頭の傷は、混戦の中で車掌の娘さんに切符入れの箱をぶつけられてできたものだ。私はけんかを止めようとしたのだが、余計なひと言を言ってしまったのだ。「結局、車掌さんの言葉がまずかっただけでしょう。彼女はまだ子どもで無知なんだから、あれこれ言っても無駄ですよ」

 

翻訳にあたって

北京のバスは安くて便利だったので、私も北京滞在中、バスによく乗った。安くて便利という以外にも、通りの風景を見ていると全く退屈しないし、乗客同士の会話とか、車掌さんとのやり取りとかも面白いものがあった。昔は運転手しかいないワンマンカー以外は、乗った時に車掌さんに目的地を告げて料金を支払うシステムだったため、車掌さんに目的地を告げても、発音が悪いと何度言っても分かってもらえないこともあり、難しい発音の目的地の時には緊張したものだ。車掌さんにもさまざまな人がいて、親切に目的地までのバスを教えてくれる人もいれば、ふてくされたような、やる気が全く感じられない人もいて、この文章のようなことも確かにあり得るなあと思う。こうした人間くさいエピソードこそ、まさに中国を感じさせてくれるものだ。(福井ゆり子)




多余一句话

作者 罗斯哲

插图 邹源

那天我坐公交车去找朋友。一个年轻人,身旁有几个大包,一看就是刚从外地来的。他靠在售票员旁边,手拿一张地图在认真研究着。忽然,他不好意思地问售票员:“去颐和园应该在哪儿下车啊?”售票员是个短发小姑娘,正剔着指甲缝(1)呢。她抬头看了一眼外地小伙儿说:“你坐错方向了,应该到对面往回坐。”要说这话也没什么错,但是售票员说了那多余的最后一句话:“拿着地图都看不明白,还看个什么劲儿啊!”

旁边有个大爷可听不下去(2)了,对小伙儿说:“你不用往回坐,再往前坐四站换904也能到。”如果他说到这儿就完了那还真不错,既帮了别人,也挽回了北京人的形象。可他一定要把那多余的最后一句说完:“现在的年轻人哪,没一个有教养的!”

我心想,大爷这话打击面太大(3)了吧。可不,站在大爷旁边的一位小姐就忍不住了:“大爷,没教养(4)的毕竟是少数吧,您这么一说我们都成什么了!”瞧她这话,不像没教养,称呼大爷还用“您”呢。谁叫她也忍不住非要说那多余的最后一句呢!“像您这样上了年纪看着挺慈祥的,一肚子坏水儿(5)的人可多了呢!”

没人出来批评一下是不正常的。这不,一位中年大姐说了:“你这姑娘怎么和老人讲话呢,你对你父母也这么说吗?”您瞧大姐批评得多好!大家以为说到这儿也就完了,可大姐那多余的最后一句话还没说呢。“瞧你这样,估计你父母也管不了!”这么吵着闹着,车到站了。

车门一开,售票员小姑娘说:“都别吵了,该下车的赶快下车吧。”当然,她没忘了把最后一句多余的话给说出来:“要吵都给我下车吵去!烦不烦啊!”

烦不烦?烦!不仅她烦,所有乘客都烦了!那个一直没说话的外地小伙儿忽然大叫一声:“大家都别吵了!都是我没看好地图,对不起了!”

听他这么说,车上的人都不好意思再吵。但别忘了外地小伙儿也有“多余的最后一句”呢。“早知道北京人都这么不讲理(6),我还不如不来呢!”

想知道事情的后果吗?

我那天的事没办成,大伙儿先被带到公安局录了口供(7),然后到医院外科把头上的伤给处理了一下,我头上的伤是在混战中被售票员小姑娘用票匣子给砸的。我原本是去劝架(8)的,可多余地说了最后一句话:“不就是售票员说话不得体吗?你们就当她年幼无知,和她计较什么呢?!”

 

1)剔指甲缝 爪の間の汚れを取る

2)听不下去 聞いていられない

3)打击面大 傷つく人が多い

4)没教养 しつけが悪い

5)一肚子坏水儿 底意地が悪い

6)不讲理 理不尽

7)录口供 事情聴取される

8)劝架 ケンカを止める

购买